英語ができない段階だと、日本語からすぐに英語にできる
通訳を見たりすると、通訳ってすごいなあと思う。
私もかつてはそう思った。今自分のビジネスで英語を使う
立場になり、たまに会議で、私が日英の通訳をすることがあるが、
経験から言うと、[通訳の能力]と、[英語で話す能力]は、違う。
何が違うかというと、
英語で話す場合、「話す内容」を自分でまとめなくてはいけない。
「何を当たり前なことを」と思うかもしれないが、この話す内容を
まとめるのが、何より大変で、しかも何より重要なのだ。
そして内容をまとめる際も、英語でまとめていないと、
すぐに英語にはできない。
つまり、イメージ化している段階で英語になっていないと、
話すのが難しい。
日本語でも同じことだが、
一度話したことのある内容は、次に誰かに話すとき、スムーズに話せる。
これは、「内容をまとめる」作業を前に一度したことがあるためだ。
首相でも、選挙の街頭演説など聴いていると、初回よりも、
地方遊説を終えて、再び東京で演説する、なんて時のほうが、
数段演説が上手になっている。
「内容をまとめる」ことに慣れて、話し方が流暢になっているからだろう。
つまり、一字一句同じでないにしても、すでに「内容が自分の頭の中で
まとまっている」ことを話せばいいので、それは簡単になる。
英語でも同じこと。
さて通訳の場合、特に同時通訳の場合、この「まとめる作業」をする必要がない。
何を話すべきかは、すでに話し手が選んでくれているので、それを
英語にする、または日本語に通訳するだけですむ。
先日久しぶりに9歳の甥が日本に遊びに来た。
彼は、父親がカナダ人なので、完全なバイリンガル。
食事の時、話題が女の子のキラキラ光る腕時計に及んで、
誰かが「ああ、いま日本で女の子の間で流行っているのよ」といった。
甥の父親が、What did she say?と聞いたので、
甥は、
“Girls like shiny watches.”
と英語ですぐに返事をした。
もし、通訳者であれば、「流行っている」をそのまま英語に直訳したはずだ。
また、「日本では」も省略せずにチャンと訳しただろう。
しかし、甥は、自分の持っている概念で日本語を理解しているから、
英語を話すときも、自分の持っている概念から言葉を選択して、
簡単な “like”で対応した。
つまり次のような違いだ。
自分のことばとして英語を話す場合:
頭の中の概念 => 英語への言語化 => 話す
日本語を英語へ通訳する場合:
日本語の文字(文) => 英語への言語化 => 話す (通訳する)
英語で考えるとは、このこと。
自分の中で、何かを話す段階になる前から英語でおぼろげに話す内容を
まとめている。無意識かもしれないが、英語でまとめて英語で話す。
これが、通訳との違いだと思う。
通訳式の日本語から英訳する練習はある程度は必要だろう。
特に初級者は、英語で何か言ってと言われても、そもそも
英語自体が少ないから、それは、日=>英 の練習で
どんどん自分で言える英語を増やしていったほうがいい。
しかし、それと同時か、あるレベルに達したら、
「自分の考えを英語で表現する」ことも練習したほうがいい。
具体的には、映画を見ながら、その場面を他の人に説明する
ように英語で言ったり、「仕事のプロジェクトについて」自分の
考えを人に説明するかのように、一人で英語で話してみたり。
つまり、「自分の考えが発信源」になる言葉を英語で話す練習が
そのまま英語を話すことに直結する。
この練習を1日5分でもすれば、かなりスラスラ英語が話せるように
なってくる。