成人になってから、natural tongue (ネイティブスピーカーの発音)を手に入れるのは至極困難!
ディズニーの大人向け映画「パールハーバー」を見たことがありますか?
残念ながら米国では不発だったようですが、日本のネット書店、アマゾンでは100件を越える書き込み。結構人気だったようです。
この映画の紹介記事が以前TIMEに書かれていたのですが、そのときおもしろいコメントを発見しました。
それは、日本の市場向けに、原作の一部を訂正したというのです。
山本という登場人物の役柄の日系人Makoのセリフを、取り直したというのです。
日本配給元のDick Sano氏(ディスニー傘下のブエナビスタ日本代表)によると
“No one in the States would notice he spoke Japanese with an American accent but
they would here.” (アメリカじゃあ、誰も彼がアメリカなまりの日本語を話してい
るなんて気付かないけど、ここ日本じゃみんなわかっちゃうからね。」
との理由からだそうです。
英語が流暢な人との明確な違いとは
英語を同じようにネイティブの様に話す人でも、やはり幼児期に海外で生活した人と、そうでな
い人とでは明らかな違いがあります。
これは何も日本人だけでなく、万国共通の現象でしょう。
アメリカ人のなかでも、黒人は独特なリズム感のある英語を話します。
スパニッシュはやはり、独特なアクセントのクセがあります。
ドイツ系アメリカ人も同様にちょっとこもったような音が多くなります。
これはいい悪いの問題ではなく、その人が育つ周りの環境に大きく左右されるのです。
黒人は、そのコミュニティがありますので、みな同じような発音になる。
ドイツ系アメリカ人だって同じです。親や親戚との会話量が多ければそれだけその発音が身についていくでしょう。
さらに言えば、同じ英語圏でも、イギリス、アメリカ、インドなどでは皆発音が違うことは理解いただけるでしょう。
つまり、発音は自分のいる周りの影響を最も受けるのです。ですから、オウム返しに言葉を反芻する幼児期や子供時代に海外で生活した経験のある子供は、その国の言葉の発音を友達、学校などのコミュニティなどから吸収していくことができます。
ところがある程度、母国語で固まってしまったあとに、このような環境に放り込まれてもなかなか発音が身に着きません。
それは、
*英語の発音を母国語の似ている発音に置き換えて発音する *単純にオウム返しのように発音を繰り返す機会が少ないのが大きな理由ではないかと思います。
たとえば、日本語にはない英語のw の発音。
このw の発音は日本語にはないので、ほとんどの人が「無音」と思っています。
しかし、what, where, why のようにw がつくからには必ずその理由(この場合は発音)があるのです。
ただ漠然と w がついているわけではありません。
ところが日本人は、「ホワット」「フエアー」「ホワイ」のように、日本語の「は行」に置き換えてw を発音します。
このw は日本語にはないので説明は難しいですが、上の歯の先が、下唇の内側の中間くらいにあたるようにして発音されます。
その状態で息を吐くと発声される音が wの音です。
幼児、子供の場合は、何度も聞き、自分でもオウム返しすることで、無意識のうちにこの発音を身に付けることができます。
ところが、大人の場合は、この音を身に付けるよりも、現在自分の手持ちの駒でこの音に対応しようとします。
手持ちの駒とは、あなたが流暢である日本語です。
長らく海外生活をすれば、現地の発音が徐々に身に着いてはきます。しかし、私には、アメリカにしか住んだことがない日系アメリカ人の発音はすぐにわかりますし、韓国系アメリカ人の発音もわかります。
冒頭で紹介した日系アメリカ人も日本語は流暢に話せるけれどもそれはやはり「日系人の日本語」なのです。
ですから私たちがそのまま映画をみたら、「あ、この人日本人じゃないんじゃないの」ということになるのです。
ネイティブ発音よりも重要なこと
あなたもアメリカ人やイギリス人のように発音を真似てネイティブのように英語をしゃべりたいと考えているかもしれません。
私はその努力をムダとは思わないし、是非興味をもってがんばっていただきたいと思います。
けれども、その前にもっと重要なこともあるので、コメントさせてください。
それは、
中身がなければ流暢な発音も何の意味もなさないということです。
仕事柄私の会社にも natural tongue のネイティブ同様に話す帰国子女が何人か出入りしますが、その中から私の希望に沿う人はほんの一握りです。
親しくさせていただいている東京大学でマーケティングを教えている教授は、決してネイティブの発音ではありませんが、
毎年1学期間をペンシルバニア大学の大学院で教鞭をとっています。
米国人教授でも、もし一度でも教鞭をとれば箔がついて、その後の教授生活は安泰といわれる大学院で毎年お声がかかるというのは、異例のこと
です。
英語は決して natural tongue(ネイティブな発音) ではないが、専門知識は世界一級なので、お呼びがかかるとしか思えません。
つまり、求められているのは、私のような会社でも、大学でも、タダの通訳ではないのです。英語をネイティブのように「世間話」できる人材でもないのです。
自分の専門性をもって、それを議論し意見交換できる人材が必要なのです。
ここで、重要なのは、英語が必要ないということではありません。
英語はゼッタイに必要ですが、重要なのは内容であって、発音ではないということです。
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