中学高校とまじめに英語を学習し、将来は欧米の大学院で研究することを目指してきた人たちが、いざ英語が使えない、というのはどういうことか?
どうも伸び悩んでいる
、というのが、この「まじめにやってきたのに、英語が使えるレベルにならない」という人たちだ。
で、彼らの悩みは深刻である。同じような状況で、3年も足踏みしているという人がザラだからである。
結論からいうと、変化球が苦手なんである。
大リーグで活躍中のイチローの打撃フォームを思い浮かべてほしい。
こんなフォームじゃあまともなヒットは打てない、と日本ではコーチに注意され、
フォーム改造を拒んだため2軍に落とされた。
それでもフォームを直さなかった、それが今の大進撃につながっている。
野球でも練習は、バッティングマシンや、真ん中にほうってくれる甘い球を中心にした打撃練習。
でも、本番ではだれもそんな 真ん中にストレートを投げてはくれない。
変化球、タイミングをはずすゆるい球、速い球、何でもありのなかで、ヒットを打たなくては、ならない。
だから、どんなタイミングでもヒットが打てるよう実践を念頭に考えている。
英語も同じ。
“How are you?”
“I’m fine.”
なんてカンタンな挨拶でさえ、
“I’m fine.”の代わりに
“Not too bad.”
“Just so so”
など変化球があるのだ。
普通の会話状態になったら、変化球の連続になる。
これは何も会話に限ったことじゃあない。
研究論文は英語で読みこなせる研究者も、英語雑誌やジョングリシャムの推理小説になるとお手上げ、というのも、この変化球が多い娯楽記事についていけないから。
そのあたり、実践で英語を習得した人は強いし、使える英語が身についている。
帰国子女の方は往々にしてTOEICなどの点数では900点に及ばない人もいる。
しかし、使える英語は強い。
ペーパー試験は苦手だが、みんなの前で話をしたり、日本語みたいに英語雑誌を読んで楽しむのには全然日本語と変わらない、という状態。
はっきりいって、こっちのほうが、ホントに英語が使えるから英語力は高い。
英語を「まじめに学習」してきた人は、インプットの度合いが少ない。
だから、少ないインプットをすべて総動員しないと、アウトプット(つまりスピーキング)ができない。
それに比べ、実践で英語を習得した人は、インプットがすこぶる深い。
だから、いざアウトプットの段階になると、今の状況を説明できる表現を5つ、いや10くらい無意識のうちに持っている。その中から最も適切な表現を選べるのだから、スピーキングの実力は、「お勉強」で英語を習得してきた人など問題じゃあない。
映画 One Fine Day (邦題 素晴らしき日)も、こんな軽快な会話から始まる。
朝 別れた奥さんが娘を連れていきなりやってくる。
寝ぼけながらも、ジョージクルーニーは、
ジョージ クルーニー ”So what’s up, Kristen?”
Kristen “Me and Greg got married last Saturday.”
ジョージ クルーニー “Oh, yeah. How’s Greg?”
Kristen ”He is waiting in the car. Waiting with an ulcer, hoping you’ll
say yes.
I need you to watch Maggie for me.”ジョージ クルーニー “OK. I can do that till about six.. Would that help?”
別れた奥さんは早速再婚、で、娘をジョージクルーニーに預かってほしい。今日は夕方6時まで預かるよ、と快諾したが、
娘 ”For the whole week, Daddy.”
Kristen ”We were going on our honeymoon today.”
なんど、前妻はきょうから新婚旅行!