語学はどれだけ使うか にかかっています。
幼少時アメリカで10年過ごしました、と聞けば、
誰しも、この人は英語が話せるだろうな、と思うでしょう。
その背景に、「それなりの時間を費やせば言語は身につく」
という認識があるからです。
植民地化された、などの特別な事情をのぞいて、外国語を
国民みんなが一定レベルで身につけている、という事例は
今までないそうです。
つまり、もし日本人がみんな英語を一定レベルで身につけたと
したら、それは快挙となります。
なーんだ、結局英語は身につかないのか、と結論付けてしまう前に
先日のニューズウィーク日本版の特集で、「日本人と英語」という
ようなタイトルの記事特集がありました。
それによると、
日本人は英語に対して憧れにも近い強い感情を持っており、
それが完璧な英語を、英語ネイティブのような流暢な英語を求めている
のだそうです。
私はこれは、なんとなくうなずける気がします。
もし同じ価格で同じカテゴリーのBMWと日産車があったら、
ほとんどの人がBMWに惹かれるのではないでしょうか?
薄まっては来ているものの、なんとなく欧米崇拝感情というのは、
私たち日本人の中にあるのではないでしょうか?
英語ネイティブが書いた、目の前にある英文などは、ありがたく押し頂くけれど、
自ら英語で何か言おうとか、書こうとかはしません。
なぜなら、自分が話す英語は、立派でもなければ、間違いもきっと含んでいる
に違いない、と感じるからです。
しかし、英語ネイティブのブログやツイッターを見れば一目瞭然ですが、
文法そっちのけの英文がはびこっています。
しかし、これは特異なことではないでしょう。
私たちだって、ツイッターで何か情報発信するとき、きちんとした日本語を
書こうなどと意識しませんから。
私たち日本人がいちいち文法が・・・などと考えて日本語を話したり書いたりしない
ように、英語ネイティブだって、英語の教科書や教材に書いてあるような英語を
話しているわけではありません。
私の会社で収録し、教材に使っている英語音声は、ネイティブがナマで話している
音声をそのまま収録しています。
これを分析すると、文法的に言い方を間違っているもの、言いよどんでいるもの、
など、あら捜しをすればたくさん見つかります。
つまり、英語でも日本語でも、フランス語でも何語でも、教科書に書かれたとおり、
一語一句たがえずに話すひとなど、いないのです。
それにも関わらず、日本人英語学習者は、間違いを犯す恥ずかしさと
英語ネイティブへの崇拝にも近い感情から、自ら英語を発信しない。
これだと、
「英語を話せないから話さない。」 以上
とここでおしまいになってしまう。
ホントは、 「英語が話せないから話す。」
を続けて、その話す量をどんどん増やしていくのが 語学上達の秘訣なのですが。
もう一度繰り返しますが、英語ネイティブだって、教科書どおりの英文を
話すわけじゃなく、文法の誤りだってしますし、言い間違えだってします。
「アメリカで10年過ごしました」という人は、たぶん英語ができるだろう、と
予感させるのは、
「英語が話せないけど、何とか話し続けた。その結果、徐々に話せるようになり、
いまでは日本語と同等レベルで話せる」
ということをイメージできるからです。
「話せないから話さない。」ではなく、「話せないからこそ話す」を繰り返していけば上達するに決まっています。
英語ネイティブじゃないし、間違えて当たり前、と考えて、英語でブログを書いたり、
独り言でもいいから英語で話したりすると、英語発信力はグングンついてきます。