どうして英語ができないのか?
こんな悩みは、もしあなたがいきなり英語圏に
放り込まれれば、半年で解決する。
あなたが来年に向けてしなくてはならないことは、
英語を勉強する、というこびりついた発想を
綺麗に今年中に洗い流し、新たに、
「英語を使う」という発想に切り替えることだ。
もし、何の制約もないならば、全く日本人のいない英語圏に
行って、半年、タダでもいいと頼み込んで仕事をさせてもらうことだ。
(間違っても現地の語学学校などに行かないように。)
もちろん、全くのゼロからイタリアへ行って、イタリア語を習得するのは効率が悪い。
しかし、英語の場合、全くのゼロではない。
少なくとも中学、もしくは高校で習った英語はある程度
わかるはずだ。
英語力が全くゼロではないから、
現地で英語を使いながら、学習し、学習しながら使うことができる。
私の親戚(カナダ人)は、カナダ東部の小さな町に住んでいる。
そこに、数年前、日本人の一人の女性がやってきた。
20代後半。
そして、町でたった一件の小さな宿屋で職を得た。
私の親戚は、その宿屋の主人と顔見知りなので、
(というか、町で知らない人は誰もいないというくらい
小さな町なのだ!)、主人の愚痴を毎日のように
聞く羽目になったそうだ。
「〇〇は、挨拶くらいしか英語ができない。」
しかし、その日本人は、よく働くし、気が回るので、
宿屋ではお客にも他の従業員にも人気。
寝る場所と食事さえだしてくれれば給料は要らないというので、
特にクビにする理由もない。
ただ、英語ができない・・・
しかし、半年もたつと、日常会話ができるようになる。
じきに、お客からの電話にも十分に対応できるようになった
という。
私は夏にその田舎町に遊びに行ったとき、
彼女が、アイスクリーム屋で仕事仲間とアイスクリームの
バイトの子と3人で楽しそうに話しているのを見たことがある。
普通のあいさつ程度の英語なら なんら、ネイティブと変わらない。
直接彼女に話したわけではないが、
多分カナダ滞在の目的は、英語力をつけることと、
ささやかな海外滞在の経験だろう。
両方ともに、見事に手に入れていた。
「英語を使ってみるといいよ」と言っても、
ほとんど誰もやらない。
ここがミソだ。誰もやらないから、価値がある。
「英語を勉強する」という発想で、目的を遂げた人は一握り。
「英語を使う」という発想ならば、90%以上だ。
(海外在住経験の帰国子女をみれば一目瞭然。)
直感的にも、「使えばできるようになってくる」というのは、
誰にもあるだろう。
しかし、ほとんどの人はやらない。
このギャップに気づいた人で、さらに実行力のある人だけが、
英語を「使える」ようになる。
多くの日本人は、「勉強」こそが近道だと考える。
しかし、英語は、「経験」こそが近道なのだ。
できるだけ、ナマ英語に近い英語に触れる。
その臨場感が、心に刻まれるからだ。
島田紳助が、「紳助研究」というDVDのなかで、
「僕は本は読まない。それは心に響かないからだ。
僕はその場その場の感動を大切にし、それを
糧にしている。その感動は忘れない。
なぜなら心に刻み込まれているからだ」といっている。
彼の言う、「心で記憶する」というのは、言葉にも
当てはまる。
「経験」を伴う言葉、心に刻んだ記憶は、忘れにくい。
この心に刻み込むような記憶を得るための、
手っ取り早い方法が、先ほどの日本人女性のように、
現地に飛び込んで、痛い目にも会いながら、
無我夢中で仕事をすることだ。
それが、ムリでも、「英語を使う」つまり、
「心に刻み込むように」英語を
インプット、アウトプットしていくことだ。
文法を知らない、ボキャブラリーが足りないと思ったら、
その時点で調べればいい。
すでに書いたとおり、学習しながら使い、使いながら学習していくと
効率がいい。ドンドン アタマに定着する。
「単語を一万語覚えてから」という発想を捨てることだ。
そもそも、単語を一万語も知らないネイティブ4歳の子供は、
母親に向かって、立派に英語で口ごたえしている。
英語を使い、心に刻み込む。