英語のできる政治家といえばすぐにアタマに浮かぶのが元首相 宮沢喜一氏。
1993年の宮沢クリントン会談では、通訳を介さずにサシで会談をおこなった。
バツグンに記憶力がいいので有名で、数十年たっても、大蔵時代に勤めた地方
での出来事や場所を町のすみからすみまで、日付まで覚えているほど。
高校生の頃、英語ができる叔父のすすめで Jスチュワートミルの「自由論」を
英語で読む。ちんぷんかんぷんだったが、何度か素読するうちに意味がわかる
ようになったという。(日経新聞 私の履歴書)
同じくバツグンに記憶力のよかった英語の使い手が、南方熊楠(1867-1941)。
植物学、微生物学、民俗学の巨匠で、あまりに才能があふれていたため活躍分野
が多方面にわたり、あまり名前が知られていない面もある。
すでに子供の頃からその記憶力発揮し、
当時の百科事典『和漢三才図会』合計105冊を
書き写し内容をすべて記憶していたという。
19歳で米英に留学し、有名な科学雑誌Nature にも何度も投稿論文が掲載されている。
彼は、大英博物館でも興味のある論文などをそのまま書き写し、現存しているものだけで
52冊もある。
彼は書き写すべきノートがないときは、そのままアタマに記憶したともいわれている。
この2人に共通している万人の能力を超えた記憶力、そして卓越した英語力には、深い結びつきがあるんだろうか?
私はある、と思う。記憶力がよいと英語はできるようになる。
なぜならば、英語というのは日本語とは言語構造が違う、日本人にとっては新しい言語。
これを使いこなすには、ナニが必要かというのを考えると、
「いかに自由自在に 自分の持っている英語を 出し入れできるか」にかかってくる。
英語には複雑な原理を理解する必要はあまりない。
多量の英語を読んだりすると、それらが自分の中に貯まってくる。
記憶力のいい人は、当然貯まる量が、一般の人よりも多い。
だから英語がたくさん自分の中に残っていく。
これを自由に出し入れできるようにしておけばいいわけだ。
記憶力のいい人は、英語上達には一歩有利であることに間違いないと思う。
では、私のような凡人はどうしたらよいか?
英語のいいとこは、ここである。英語は凡人でもマスターすることができる。
(アメリカの子どもだって理解したりしゃべったりしてるんだから、もう少し知能レベルの
高い? 私がマスターできても不思議ではない。)。