70歳の男性からメールをいただいた。
「今は現役を引退して趣味の生活をしているが、英語もその一環として続けている。」
それで、どういう学習方法をしているかと言えば、ほとんど英語ラジオ講座での学習らしい。
毎朝ラジオ番組が始まる前に15分ほど予習をして、それからラジオ番組を聞くそうだ。
こう言った継続的な学習だと気負わずに英語に親しめる、ということだった。
毎日のペースメーカーとして、何か継続的に英語に接する時間を持つことは非常に好ましいと思う。
私も、高校生の頃、ラジオ放送で「百万人の英語」とういのをやっていたが、学校の英語よりもよっぽど楽しかった。
英語耳や英語勘を形成するのに、毎日英語に触れることは非常に重要だからだ。
ところが、この話をバイリンガルの人と話したときにしたら、全く別の意見をもっていた。
彼は神戸で英語を教えている在米経験10年のバイリンガルであるが、彼は日本人が英語ができない一番の理由は、集中して短期間に大量の英語を聞く機会を一度も作ったことがないからだと指摘していた。
たしかに、海外で(語学留学じゃないですよ)ネイティブに混じって仕事をこなしたりハードな学業環境に置かれると、一時パニック状態になる。 いままで、英語=>日本語、日本語=>英語と訳していたのに、その余裕すらなく英語でガンガン攻められるからだ。 しかもただうなずいているだけじゃなくて、こちらからの行動も当然求められる。 「それについてどう思う?」 「おまえの意見はどうなんだ?」 「どうしたらいいか教えて欲しい?」
こうなると、英語=>英語 で答えていかねばぜんぜん間に合わなくなるが、英語力が伴わない。
だからこの一時期パニックになる。
この状態を克服するには、「開き直り」しかないんじゃないか? 私自身もそうだったし、今まで話をしてきたバイリンガルに尋ねても皆そうだった。
完ぺき主義でいったら、ぜんぜん間に合わない。
わからないところは、わからない、と割り切って、どんどんわかるところだけで、自分なりに工夫して仲間に入っていくしかない。
現在東大の2年生のS君は、日本人だけど、大学に入るまで日本で生活をしたことがない。(日本語はぺらぺらです、念のため)。
生まれて小学校3年まではアジア圏(日本人学校だったので、日本語での会話が主流)小学校3年からはアメリカで暮らしていたそうだ。
小学校3年でアメリカに渡ったとき、英語はまるっきりわからないが、現地学校へ。
最初は、愛想笑いしかできなかったらしい。
しかし、約半年くらいで、本人としてはほとんど違和感なく仲間と打ち解けていたという。
幸いだったのが、回りに日本人がいなかったことだろう。
こういった、集中して英語をインプットする時期(ただ聞き流すだけじゃない、自分でもなにかアクションが求められる)を経験すると、そこから、
*全部わかるわけない
という開き直りから
*わかるところだけからでも何とかしよう
という意識が出てくる。
こうなると、わかった端々から英語で反論したり、自分の意見を言ったりすることができるようになる。
はじめは、 「ボクは、売上を20%増やすのは無理だから、その部署を他の部署へ移行させてコスト減を図るのがいいと思う。」と誰かが話したら、その言葉尻を捕らえて、 「私は売上10%増やすのは可能だと思う。だから移行するまえに10%増やす方法を考えてみたらどうだ。」と、内容は違っても、英語は似ているというような表現を真似して使っていく。 これが結構使えるようになってくると、あとは、どんどん英語力は上昇していく。まともな内容だったらみんなも意見を聞いてくれるようになる。(結局英語力よりも中身のほうが大事になってくる。)
日本語が介在しないから、ホントにドンドン上昇していくのが自分でも分かるようになる。
サンフランシスコ在住の、小川真由美さんという女性と米国ネット企業のインタビューをしたときに、彼女が漏らしていたのが、「こういうこといっているんだなー、と思って推論して話していて、ぜんぜん意味が違うときの冷や汗は、今でも忘れられない。」
英語の使い手も、決して天性の英語力があったわけではないようだ。