私は、日本で育ち、日本で英語教育を受けたので、あなたが日本で受ける英語教育はひととおり、経験していると思います。
中学生の頃は、英語の勉強も結構しましたので、成績もある程度良かったし、高校にいけば大学受験の勉強とか英文法の勉強など、手に余る勉強もどんどん進めていきました。
あなたが、どうかはわかりませんが、高校の時に習う英文法の量は、私のキャパシティ、つまりちゃんと理解して受け入れられる能力をはるかにこえていたのではないでしょうか?
それでも試験日はやってきますから、ついついそのまま 丸暗記。
いまにして思えば、そのときの努力を、もっと有意義なものに使えばよかった、と思っています。
その頃に詰め込んだモノが、ほとんどアタマに残ってないし、もっと楽しく習得できると、後でわかったからです。
日本史の年表を覚えるのだって、語呂合わせで年代を覚えるよりも、NHKの「歴史発見」とか「大河ドラマ」で、その時の状況を楽しみながら吸収していったほうが、よっぽどアタマに入るし、自分の人生も豊かになるし、と思うと、中学、高校時代の勉強の仕方でずいぶんと違いがでるのではないかな、と考えてしまいます。
皆さんからの質問で、トップ3にいつも入るのが、「でも単語や文法を覚えなくちゃいけないでしょう?」というものです。
確かに単語や文法というのは、必要なのですが、それが一人歩きしてしまっているのが、おかしな考え方なのです。
いまだに、英語の雑誌を読んだり、映画を見たりするときに、新しい表現に出会います。そして、「お、これはいい表現だな」とか「この単語はインプットしておこう」というものは、アタマに残すようにするし、必要があれば英英辞典で調べてみます。
でも、これは、覚えなくちゃ、というかんじではないのです。
そうすることが楽しくて、調べるというかんじなのです。
たとえば本を読むのは、小説でもノンフィクションでも、自分の知らない推理話を読んでワクワクしたい、とか新しく興味のあることを本から吸収したい、という楽しみで読むでしょう。
誰も楽しくもないのに、わざわざ本代を払うことはしないと思います。(脅迫観念から試験対策本を買うのは別かもしれませんが。)
英語を楽しむというのは、それと同じ感覚なのです。英語を使っていって、新しい表現に出会うと楽しくてワクワクする。
そして英英辞典やシソーラスという類語辞典で引いてみて、「なるほど、こういう表現がこめられているのだな」というのがわかると、なおさら楽しくなってくる。
中学、高校の英語の授業では、そんな余裕はありませんでした。かくゆう私も、毎日毎日単語を覚えたり、熟語を一夜漬けでアタマにいれたり・・・
でも、そんな努力してアタマに詰め込んだ単語たちは、数日でアタマから出ていってしまった。
中学、高校時代はこんな風に英語に接していた私でも、今は、英文雑誌のインタビューを依頼されたり、海外のエグゼクティブ向け研修プログラムの講師として、英語で授業を行ったりしている。
つまり、ただ、英語を使っているというだけで、字幕なしで映画を見たり原本を読んだりという楽しみが増えるし、仕事だって勝手に幅ができてくる。
はやり楽しみながら英語力をつけたいものです。