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eigoの勉強はいつまで続けるべきか

英語は勉強か楽しみか

 

ニュースレターで 私はいまでも意識的にeigoに接するようにしている、と書いたら、
「やっぱりいつまでたっても勉強を続けなくちゃいけないんですね。」というコメン
トをいただいた。

ちょっと考えたのだが私にとっては「勉強」じゃあ、ない。

あくまで、「楽しみ」でやっている、といったほうが正解に近い。

もし、日本語でもeigoでもどっちでも、同じように吸収できるとしたら、私はできる
だけ英語でヤッみようと思ってる。

たとえば、翻訳書がでてても洋書で読んだりとか、映画はいうまでもなく字幕なしで
楽しんだり、とか。

そうしたほうが、結構楽しくなってくる。

翻訳書は、原文を読むと、やっぱり訳者の上手下手があるみたいで、全然印象が違ってしまうし、映画も字幕だと文字数に制限があるから 原文とは違った訳になってるところが、非常に多い。

だから、英語のまんまで吸収してしまうことで、それをそのまま楽しめるという嬉し
さがでてくる。

他の人と同じように 毎朝 日経新聞を読んでNHKニュースを見て会社に出勤するよ
りも、明日には古くなる情報しかのっていない新聞は読まずに、その時間でジョング
リシャムの推理小説を楽しみ、ジョギングにいって、それからくつろぎながら朝食を
食べる、という自分流の朝の楽しみ方のほうが好きだ。

“Life is tremendous”(チャーリー・ジョーンズ)という本はこんな出だしで始ま
る。

「人生で最もすばらしい経験とは、何かを学んでいるときに手に入るもの。最も嘆か
わしい瞬間とは、もう十分に学んでしまったと思うときだ。」

ヤンキースに入団した松井も同じようなコメントをしていたのを思い出す。

「また頂上がとっても高くて手の届かない世界に入って、自分はほとんどゼロの存在
でそこからまた1歩1歩這い上がっていく、そんなことをしてみたい。」

eigoの場合は、全然ストイックになる必要もなく、ドンドン楽しめて、それで自分の
目標に向かってドンドン向上していくことができる。

こんな楽しくて、しかも実践で役にたってしまうモノは、他にはないんじゃあないで
しょうか?

ドンドン吸収し、アウトプットしていくと、その速度が加速され、さらによいもの新
しいものができてくる。

こうなると、自分自身に勢いがつくし、やってることが楽しくてしょうがなくなって
くる。

今日も Janet Evanovichの ”One of the money”という推理小説を読みながら結構クールなフレーズを仕入れてきた。

“My heart contracted so hard I was afraid my eyeballs might pop out of my
head.”

「心臓が激しく収縮して、目の玉が飛び出るんじゃないかと思った!!」

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